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寄島エリア

歴史施設 安倉(あくら)八幡神社大浦神社龍城院
文化・スポーツ 三ツ山スポーツ公園
自然 寄島園地(瀬戸内海国立公園)三ツ山(三郎島)三郎海岸 青佐鼻(おおさばな)海岸不動の滝アッケシソウ
その他 寄島伝説

安倉(あくら)八幡神社

安倉(あくら)八幡神社

安倉地区は、六条院西村(現在の鴨方町六条院西)の飛び地であった関係から明治9年までは、六条院中村(現在の六条院中)の真止戸山(まつばさ)神社の氏子でした。御祭神には大浦神社と同じ三柱をまつっています。秋祭りが10月第1土・日曜日に行われ、神輿、奴、御船、千歳楽などが出て賑わいます。
 この神社の参道入口には県下最大級の楠があります。樹齢約600年、目通り周囲5.26m、根元回り7.8m、高さ20mにも及ぶ巨樹で天保年間の頃(約160年前)まではここが海岸線でした。(地図)

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大浦神社

大浦神社

寄島町の鎮守の森、大浦神社には応神天皇・仲哀天皇・神功皇后の三柱がまつられています。社殿は当初、三郎島の霊地にまつられていましたが、永禄年中、鴨方藩の細川通董公により現在の地に移されました。境内地の広さは2,290坪、本殿の建物は入母屋造で平成8年には絵馬殿が新築されました。10月第1土・日曜日に行われる秋季大祭では、神輿、御船、奴、千歳楽が境内を威勢よく練り、競馬神事も行われます。(地図)

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龍城院

龍城院

承和5年(838年)慈覚大師の開基。天台宗の道場として法灯を伝え、元禄2年(1689年)、宝暦9年(1759年)に再建、大正8年、平成8年に改修されました。  
 町内の桜・紅葉の名所です。(地図)

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三ツ山スポーツ公園

三ツ山スポーツ公園

子どもたちから高齢者まで、全世代共通の憩いの場として、自然と調和した緑豊かなスポーツ公園。多目的広場、多目的シェルター、グラウンドゴルフ場、子ども広場等が整備されています。(地図)

利用料金

種類 単位 市内在住者使用料 市外在住者使用料
高校生 一般 高校生 一般
多目的広場 1面1時間あたり 無料 無料 250円 500円
多目的シェルター
(照明なし)
1面1時間あたり 無料 無料 150円 300円
多目的シェルター
(照明あり)
1面1時間あたり 750円 1,500円 1,350円 2,700円
グラウンドゴルフ場 1人1時間あたり 無料 無料 50円 100円

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寄島園地(瀬戸内海国立公園)

寄島園地(瀬戸内海国立公園)

誰もが手軽に自然とふれあえる場所として、環境庁と岡山県が遊歩道、展望台、休憩施設の整備を行い、平成7年にオープン。干拓により本土と陸続きになったこの島は全体が瀬戸内海国立公園に指定されており、なかでも南側は特に優れた景観を有しているため第2種特別地域になっている。
  島の南側は、昔ながらの自然がそのまま残っており、特に瀬戸内海沿岸では今やほとんど見ることができない自然海岸はすばらしく釣り、キャンプ等の利用者が多い。またここの展望台からは、近くに瀬戸内海の多島美を形成する塩飽・笠岡諸島の島々や瀬戸大橋、遠くに四国山地の素晴らしい眺めを満喫することもできる。さらに子ども向けの大型コンビネーション遊具も整備され家族でのんびり1日を過ごせれるようになっている。(地図)

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三ツ山(三郎島)

三ツ山

寄島園地のある三郎島の西海岸沖に粗粒花こう岩からなる三つの島があります。高さ10m、長さ15m、相互に約6mの間隔をおいて規則正しく並び、干潮時には三つの島へ本土側から歩いていけます。この付近は潮干狩りのできる場所としても有名です。(地図)

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三郎海岸

三郎海岸

瀬戸内海国立公園「寄島園地」のある三郎島の南側にあり、東西約1kmにわたって砂浜が広がっています。海水浴や釣りなども楽しめます。(地図)

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青佐鼻(おおさばな)海岸

青佐鼻(おおさばな)海岸

瀬戸内海国立公園に面し、眺めの良いこの海岸は、道路に隣接した便利な場所にあるため、海水浴、潮干狩りなどができる春から秋にかけてのシーズンには、子供連れの家族からお年寄りまで大勢の人で賑わいます。またこの海岸は穴ジャコ釣りができる場所としても有名です。(地図)


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不動の滝

不動の滝寄島町唯一の滝で、竜王山系の侵食谷の渓流にかかる直下30mの飛瀑です。(地図)

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アッケシソウ

アッケシソウ

 アッケシソウは塩分の多い湿地帯に生える葉のない1年草で、高さは10〜30センチほど、茎は丸く肉厚で9月から10月にかけて深紅に紅葉することからサンゴ草とも呼ばれています。このアッケシソウは北半球の塩湿地に広く分布し、国内では現在、北海道、香川県、岡山県にのみ分布が確認されています。 このアッケシソウが寄島干拓地内で自生しているとの報告があり、倉敷市立自然史博物館の学芸員の方の調査により3箇所の生息地が確認されました。(地図)

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寄島伝説

仲哀天皇の后、神功皇后は三韓遠征凱旋の帰途、備中の国の沖合いに来ると、景色の良い島々があったので、お立ち寄りになることになった。これから後、皇后が立ち寄られたこの小島を「寄島」と呼ぶようになったのである。
  さて、いつの頃からか不思議なことに、この島の西南の海中にひょっこり三つの小島ができた。ふもとは互いに連なる一つの島であるが、潮が満ちてくると三つの島に分かれる。島頂に松が生え風情を添えている。この島は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后の三柱の神のお姿であるとの神のお告げに、里人はおそれ敬い、「三ツ山」ととなえ、小さい祠(ほこら)を建てて、祭り、さらに寄島の中ほどの「宮の谷」に社殿を建立して三柱の神を祭った。
  ご滞泊のある日、神功皇后が、島から対岸の陸地に渡ろうと、島の北岸に立たれた。洋々と潮が満ちた海を眺められ、海の上を歩いては渡れないので、船を準備しようかと思案しておられた。その時、急に眼前の海水が真二つに分かれて一筋の道ができた。喜ばれた皇后はその道を歩いてお通りになり陸地に着かれた。以来この道を神功皇后の道と伝えている。潮流により、島と陸地の間に長い砂洲が発達して、海が浅く、潮が引いた時は白い砂洲が現れて、歩いて渡ることが出来るが、満潮時には洲がみえなくなり、とても歩いて渡ることはできない。南北に長いこの亀甲型の洲は、瀬戸内海満干潮の分岐点となり、西は豊予海峡、東は鳴門海峡に分かれるのだといわれているが、この伝説では、皇后の神威で満ちていた潮が引いて干潟ができたと伝えられている。この洲には貝類が豊富で潮干狩に快適で、近郷からも大勢の人が集まり、黒山のようにむらがって潮干狩を楽しんでいたが、寄島干拓ができて、現在は埋め立てられ、島と陸地は舗装された広い道路で結ばれている。
  さて、陸地に渡られた皇后は風光明媚な海岸を散歩された。疲れたお供の者達は、あちらこちらに席を設けて休息していた。いくら眺めてもあかない風景を楽しんでおられた皇后も疲れてか「あくらは」と仰せられた。「あ」は自分。「くら」は休む座席で、「私の休み場所はどこか」と仰せられた。これが安倉の地名となったと伝えている。なお、皇后様がお通りになった道が「宮通」という地名になり、「みかど」と呼ばれ、「みかど川」といわれる地名や川の名になって、皇后と結びつくのも伝説にあやかるものであろうか。
  寄島(現在の三郎島)の「宮の谷」の上に八幡宮が祀られていたという。八幡宮の下にある谷だから「宮の谷」だという伝説が残っている。考証によれば、平安時代の中期、長徳3年(997)に社殿が建てられている。これを立証する古瓦が遺跡から発掘されている。この社の境内に「三郎島の大松、扇松」といわれ航海の目標となり漁船のめじるしとなっていた樹齢500年の大松があったが、松喰虫の被害で枯死した。
  男性化した女性を女八幡という。「あの女は八幡じゃ」といわれるが、女性であった神功皇后が男装して征韓全軍の指揮をとり、戦に勝った武功を称えられ八幡宮に祀られたので、そのようにいわれるのであろうか。 この島にゆかりの深い三柱の神を三郎島(三ツ山)が眼下に見える本島の尾根に祀ったという里人の信仰が後世に伝えられているのである。

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