現在の位置: トップページ > 鴨方エリア観光情報
観光情報を地域別で探す鴨方エリア
長川寺(ちょうせんじ)
曹洞宗。本山は総持寺(横浜市)。寺伝によると、源三位頼政の末裔西山宗久を開基とし、のち1412年(応永19)永祥寺第三世英巌章傑禅師が開山した古刹である。1575年(天正3)細川通董が鴨山城に拠ると当寺をその菩提寺とし堂宇を整備し、寺領120石を寄進した。その後、水害・山崩れなどがあったが、十二世徳雲の威神力と細川氏遺臣の末裔の協力で、1704年(元禄17)現在の本堂・庫裏が建てられた。境内には、通董の墓や岡山藩お抱えの庭師弥兵衛が築いた文化年間の庭がある。(地図) 明王院(みょうおういん)
伝教大師最澄が入唐の際、立ち寄って開いた天台宗のお寺。次いで慈覚大師が秘密灌頂の道場とした。その後、平家滅亡と運命を共にした安徳天皇の御在所「穴泉の御所」が設けられしばらく滞在したといわれる。寺域が広く、応天門を通り、杉や松がうっそうとした参道を通ると、境内の客殿や多宝塔、庭園が目をひく。特に、さつきの咲くころが美しい。室町時代に制作された仏涅槃図は、県指定重要文化財。(地図) 円珠院(えんじゅいん)
天台宗。慈覚大師が入唐求法の旅の帰途、この地に立ち寄り、竜王山山中から沸く泉を「未曾有の清浄水」と愛でて修法の阿伽水として用いたゆかりをもって、後に大師を開祖と仰ぎ、この聖地を阿伽井坊と名付け堂宇を建立したのが始まり。旧寺跡近くには細川下野守通董が竜王山に在城した際、寄進したという円珠院石造大宝塔一基がある。(地図) 両面薬師堂(りょうめんやくしどう)
遙照山の山頂、浅口市・矢掛町の境界にあり、慈覚大師の開山(平安前期)と伝える。本尊の石仏が南面は薬師如来、北面は釈迦如来という2仏1体の珍しい像であるため「両面薬師」と呼ばれ親しまれている。(地図) ゆるぎ地蔵
滑石(のめらいわ)
阿部山に源を発する杉谷川の清流に、河床の一部がひと続きの巨岩で覆われ表面が流水のために消磨されている「滑石」がある。1798年(寛政10)3月3日、西山拙斎が弟子たち8人とともに来遊して酒宴を催した際、西山拙斎が即興で題名を岩に墨書きしたものを同行の伊沢石介が洗い去られるのを惜しんで写し取っていた。刻文は、西山拙斎没後の25年目に次子西山復軒に頼んでこれを書き直し彫刻したものである。「ほととぎす ひる鳴くここぞ 杉の谷」と田上月声の詠んだ句も彫られてある。(地図) 阿藤伯海(明治27年〜昭和40年)
大簡(たいかん)阿藤伯海先生は、明治27年2月10日、鴨方町六条院東の相部(あいべ)の里に生まれた大詩人。 東京帝国大学で哲学を専攻し、近代ヨーロッパの詩風に傾倒したが、卒業後一転して京都の狩野君山門下でシナ学を学ぶに及んで詩人の天才は漢詩に発揮された。俗悪を嫌い純粋を愛する精神は知る人ぞしる、恩師・学友・教え子いずれも当代第一流の人々の終生の知遇を得た。昭和19年、母校第一高等学校の教授を辞して郷里に帰った後は、世事を断って清雅孤高の生涯を送り昭和40年4月4日病没、71歳の生涯を閉じた。遺稿「大簡詩草」480首巻頭の一篇「右相吉備公館址作」は臨終枕頭の絶筆である。 阿藤伯海(あとうはっかい)記念公園
孤高を貫いた昭和の偉大な漢詩人 "阿藤伯海"を顕彰する、「阿藤伯海記念公園」が、浅口市鴨方町六条院東に平成18年1月開園。生家を修復した「阿藤伯海旧居」を中心に、東に散策道や吉備真備を顕彰した絶筆の詩碑等を有する「記念広場」、西に20本の梅を植栽し、遙照山系を望み広く展望の開けた梅園「流芳(りゅうほう)の丘」を整備している。(地図) ![]() ![]() 入館・使用料等公園開・閉館日時開館時間 9時〜17時(入館は16時30分まで) 休館日 毎週月曜日・火曜日・祝日、12月28日〜1月4日まで (旧居のみ。公園は開放しています。) 入館料
シルバーカード、身体障害者手帳、精神障害者保健福祉手帳、療育手帳所持者は無料です。旧居のみ有料、公園部分は無料です。 使用料
冷暖房の使用できる施設において、冷暖房設備を使用した場合には、別に料金が必要です。また、ご利用の方のうち半数以上の方が市外の方の場合は、使用料が倍額となります。 交通案内
JR鴨方駅より南東約2キロメートル 山陽自動車道鴨方ICより南約6キロメートル お問い合わせ先阿藤伯海記念公園
「日本の歴史公園100選」かもがた町家公園
この辺りは、江戸時代、岡山藩の支藩鴨方藩の中心地だったところで、公園の前を東西に結ぶ「旧鴨方往来」は、当時の藩の政治、経済はもとより、文化人の交流に欠かせない重要な街道であった。 本園は、この往来沿いに並ぶ江戸時代に築造された二棟の町家を初め、蔵、井戸、土塀、庭園等を修復した史跡ゾーンと、四季折々の古典植物が楽しめる伝統植物園や芝生広場、展望台のある景観ゾーンからなる面積約6,600平方メートルの歴史公園で、「日本の歴史公園100選」に選定されています。 「鴨方に過ぎたるものが三つある 拙斎、索我、宮の石橋」と昔からうたわれた里謡にあるように、近くには江戸中期の儒者西山拙斎や画家田中索我ゆかりの史跡や歴史の古い寺社、陣屋跡、鴨山城趾などがありこの公園を中心にゆっくりと散策することができる。(地図) 伝承館(旧高戸家住宅ー県指定重要文化財)
江戸前期の町家を細部にわたり修復し、当時の建築技術を見学できる建物博物館。発見された棟札から、貞亨4年(1687)に修理をした県下で最も古い貴重な町家である。 正面十間、側面四間、中二階建の店部分と平家建ての座敷部分からなり、正面の全体的な構成、大戸口、格子構は、大変美しく格調高い外観に仕上がっている。(旧高戸家住宅ー県指定重要文化財) 交流館
伝承館の東に並ぶこの町家は、棟札から延享5年(1748)に建てられたもので、分家の母屋。伝承館と同様当時の部屋割りにあわせて修理を行い、かまども復元している。この館では、各種グループの研修や歴史学習、伝統行事を行ったり、来訪者のための情報コーナーや和風喫茶、特産品や土産物の展示・販売コーナーがある。二階は、郷土史料の展示室となっている。 ふれあいの館(西倉)
伝承館の北側にある土蔵。棟札から、安政3年(1856)に建てられたもので、近隣にはない立派な土蔵で、当時の重要な生活用具や什器などを収蔵していた建物である。二階建てとなっており、絵画、書道、工芸、陶芸、写真、生け花等の作品展示やミニコンサート、創作活動等に利用できる。 郷土の館(東倉)
交流館の北側にある土蔵。建築年代は不明。一階は、歴史や文化・観光等をパネルやビデオで分かりやすく紹介している。(二階は、公園管理事務所)。 入館・使用料等公園開・閉館日時
伝承館入館料
シルバーカード、身体障害者手帳、精神障害者保健福祉手帳、療育手帳所持者は無料とする。 使用料
冷暖房の使用できる施設において、冷暖房設備を使用した場合には、別に料金が必要です。また、ご利用の方のうち半数以上の方が市外の方の場合は、使用料が倍額となります。 交通案内
お問い合わせ先かもがた町家公園
かもがた三秀鴨方に過ぎたるものが三つある 拙斎・索我・宮の石橋(地図) 西山拙斎
江戸中期の儒学者。名は正、号は拙斎。1735年(享保20)鴨方村に医者恕玄の子として生まれ、16歳の時上坂して医学と儒学を学ぶ。39歳の時郷里に帰り私塾欽塾を開き子弟の教育に専念。当時学風が乱れているのを嘆き1788年幕府儒官柴野栗山に「答客問」の書を送り朱子学を正学とする学制の統一を説き、翌年この建議がもとで老中松平定信が「寛政異学の禁」を出した。1798年(寛政10)64歳で居宅至楽居に没する。 田中索我
江戸中期の画家。名は守貫、号は索我。1742年(寛保2)鴨方村に田中宇兵衛の子として生まれ、京都に上って鶴沢探索に師事し画法を学んだ。1770年(明和7)仙洞御所の屏風2双・杉戸2枚を描き1789年(寛政元)法橋上人位に任ぜられ、郷土に帰ってからも備中に多くの作品を残した。西山拙斎とは親友。1814年(文化11)73歳で没した。 宮の石橋
鴨神社の随身門下にある石橋で、「鴨方に過ぎたるものが三つある拙斎、索我、宮の石橋」と謡われた鴨方三奇の一つ。長い板状の石6枚を反らせて整えた太鼓橋で、鴨方の町筋からの参道を上ってくる参拝者のために造られたものである。石橋がまたぐ小道付近の小字名が「鴨之下通」であることから、この小道がかつての古道であり、本来の参拝口はこの石橋辺りにあったことを思わせる。(地図) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||